「成功本を読んで成功した人はいない」

 twitterのタイムラインで、標題のようなことを言っている人がいた。実際、僕も、そのように思う部分がある。様々な分野における成功者の方々は数多いが、「成功本」の類を読んだおかげで成功した、という話はあまり聞かない。本屋には「成功本」が溢れているが、それに比例して成功者が増えているとは思えない。

 もちろん、勝間和代氏のように、成功者であり、「この本がタメになりました!」と紹介している人は少なくないのだけど、成功の原因は成功本にあり他の要因にはない、という人はまずいないだろう。

 ただ、一方で、このような見解には見落としも見受けられる。「学習塾に通う子どもは多いが、難関大学に入学を果たす子どもの数は少ない」という事実は、学習塾が無意味なことの傍証となるだろうか。このような見解は、「成功本」の捉え方がズレていることから生まれるのではないだろうか。


 では、「成功本」とは何だろう。「成功」の意味合いは様々だ。経済面に的を絞った本もあれば、成功は各人が決めるもの、としている本もある。ここでは「成功本」を、「より良い生き方を学ぶことのできる本」と定義したい。

 そうすると、一つ疑問が浮かぶ。「それって、本という形式を取らなくてもいいんじゃないの?」。そう、「成功本」は、数ある「人生の師匠」の、一つの形式に過ぎないのだ。

 およそ成功者と呼ばれる人で、他人の教えを請わずに成功した人は一人もいないだろう。どころか、今生きている人で、他人の教えなしに生きてきた人など一人もいない。誰しも子どもの頃は周囲の大人の教育を受けるものだし、その教えはその後の人生でも折に触れて参照されることになる。

 また、「人生の師匠」は、人であるとは限らない。映画監督や小説家を志す人は、好きな作家の作品から多くを学ぶはずだ。プロフェッショナルを目指す人でなくとも、映画や小説に生き方を影響された、という人は少なくないだろう。


 そのような様々な「人生の師匠」の中に「成功本」はあるのだが、中でも「成功本」の特徴は何かといえば、コストパフォーマンスの良さだ。「師匠」に直接教えを請うなら、その人の時間を頂くだけの対価を払わなければならない。「師匠」と面識を得ることから始めなければならないことも多いはずだ。

 対して、「成功本」の類は、単価も安め(1500〜2000円程度)に設定されており、入手もたやすい。内容も充実しており、1冊の中に、口頭で授業を行えば十数時間かかるであろう内容が、数分の一の時間で読み切れるよう凝縮した形で表現されている。

 しかし、本は、伝達効率が悪い。インパクトが弱いし、双方向的な対話がないのだ。真っ白な状態から学ぶのであれば、本よりも口頭の方が学習効率が良い、というのは多くの人が経験的に知っていることだろう。口頭であれば十数時間かけて学ぶことを1冊に凝縮しているわけだから、理解できないまま読み進めてしまうこともある。

 さらに、本はやる気をブーストする力が弱いという問題もある。優れた「成功本」の著者はおしなべて文章が上手いものだが、それでも紙面から受けるインパクトと対面して受けるインパクトとでは、後者の方がずっと大きい。

 これらの点から導き出される「成功本」の「人生の師匠」としての特徴は、「安く手に入るが、効果は薄い」ということになる。

 かくして、「成功本を読んで成功した人はいない」と認識されるような状況が生まれるわけだが、そのことが「成功本」の意義を直ちに失わせるものでない。

 「この本を読めば成功できる!」と過大な期待を寄せるのは間違っているが、少し人生を上向きにするヒントが欲しい、というようなときには、「成功本」は小回りの利く良きパートナーになってくれるだろう。