興味深いデータ:
第13回出生動向基本調査
http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou13_s/doukou13_s.asp
http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou13_s/Nfs13doukou_s.pdf

個人的に注目は、「異性との交際」「年齢別にみた、未婚者の性経験の構成比」。


これを見ると、恋人として交際している相手がいる18〜34歳の未婚者は、男性24%、女性32%。婚約している相手がいる、を含めても男性26%、女性37%です。想像よりも低いですが、実態はこんなもんでしょう。

一方、異性の友人もいない人は男性52%、女性45%。これも数字としては大きいけど、実態はそんなものなのかなあ、と。


また、「未婚者の性経験の構成比」を見ると、30代未婚者の2割は未経験であることなど、他では見られないデータが載っています。25〜29の15%、30〜34の10%が未経験とすると、この世代だけで約200万人の魔法使い(魔女含む)がいることになりますね。

マッチョ三段論法:「俺に出来たのだから誰にでも出来る。誰にでも出来るのだからお前もやれ」

「○○くらい誰にでも出来る」という物言いは傲慢だ。

東大生は謙遜のつもりで「東大くらい誰でも入れる」と言うけれど、本心では努力と才能のたまもの(後者の比率が高め)だと思っているので、「そっか、大したことないんだね」と言うと途端に機嫌を損ねる。

「成功本を読んで成功した人はいない」

 twitterのタイムラインで、標題のようなことを言っている人がいた。実際、僕も、そのように思う部分がある。様々な分野における成功者の方々は数多いが、「成功本」の類を読んだおかげで成功した、という話はあまり聞かない。本屋には「成功本」が溢れているが、それに比例して成功者が増えているとは思えない。

 もちろん、勝間和代氏のように、成功者であり、「この本がタメになりました!」と紹介している人は少なくないのだけど、成功の原因は成功本にあり他の要因にはない、という人はまずいないだろう。

 ただ、一方で、このような見解には見落としも見受けられる。「学習塾に通う子どもは多いが、難関大学に入学を果たす子どもの数は少ない」という事実は、学習塾が無意味なことの傍証となるだろうか。このような見解は、「成功本」の捉え方がズレていることから生まれるのではないだろうか。


 では、「成功本」とは何だろう。「成功」の意味合いは様々だ。経済面に的を絞った本もあれば、成功は各人が決めるもの、としている本もある。ここでは「成功本」を、「より良い生き方を学ぶことのできる本」と定義したい。

 そうすると、一つ疑問が浮かぶ。「それって、本という形式を取らなくてもいいんじゃないの?」。そう、「成功本」は、数ある「人生の師匠」の、一つの形式に過ぎないのだ。

 およそ成功者と呼ばれる人で、他人の教えを請わずに成功した人は一人もいないだろう。どころか、今生きている人で、他人の教えなしに生きてきた人など一人もいない。誰しも子どもの頃は周囲の大人の教育を受けるものだし、その教えはその後の人生でも折に触れて参照されることになる。

 また、「人生の師匠」は、人であるとは限らない。映画監督や小説家を志す人は、好きな作家の作品から多くを学ぶはずだ。プロフェッショナルを目指す人でなくとも、映画や小説に生き方を影響された、という人は少なくないだろう。


 そのような様々な「人生の師匠」の中に「成功本」はあるのだが、中でも「成功本」の特徴は何かといえば、コストパフォーマンスの良さだ。「師匠」に直接教えを請うなら、その人の時間を頂くだけの対価を払わなければならない。「師匠」と面識を得ることから始めなければならないことも多いはずだ。

 対して、「成功本」の類は、単価も安め(1500〜2000円程度)に設定されており、入手もたやすい。内容も充実しており、1冊の中に、口頭で授業を行えば十数時間かかるであろう内容が、数分の一の時間で読み切れるよう凝縮した形で表現されている。

 しかし、本は、伝達効率が悪い。インパクトが弱いし、双方向的な対話がないのだ。真っ白な状態から学ぶのであれば、本よりも口頭の方が学習効率が良い、というのは多くの人が経験的に知っていることだろう。口頭であれば十数時間かけて学ぶことを1冊に凝縮しているわけだから、理解できないまま読み進めてしまうこともある。

 さらに、本はやる気をブーストする力が弱いという問題もある。優れた「成功本」の著者はおしなべて文章が上手いものだが、それでも紙面から受けるインパクトと対面して受けるインパクトとでは、後者の方がずっと大きい。

 これらの点から導き出される「成功本」の「人生の師匠」としての特徴は、「安く手に入るが、効果は薄い」ということになる。

 かくして、「成功本を読んで成功した人はいない」と認識されるような状況が生まれるわけだが、そのことが「成功本」の意義を直ちに失わせるものでない。

 「この本を読めば成功できる!」と過大な期待を寄せるのは間違っているが、少し人生を上向きにするヒントが欲しい、というようなときには、「成功本」は小回りの利く良きパートナーになってくれるだろう。

法律入門の第一歩:『六法で身につける 荘司雅彦の法律力養成講座』

荘司雅彦の法律力養成講座

荘司雅彦の法律力養成講座

 本書は、弁護士・荘司雅彦氏による、六法の入門書。そして、「法学」ではなく、「法律」の入門書。

 法学とは、法律に対し考察を加える学問である。大学で多くの人が学ぶのはこれであり、実際、法律という道具に対する批判的な視点の獲得は実務家にとっても重要なものである。

 だが、手っ取り早く現存する法律の内容を知りたいと思っている人にとって、「そもそも法とは…」という語りを聞くのは時間の無駄だ。

 その点、六法の内容を限界まで削ぎ落として要約した本書は、法律の内容を知りたいという人が1冊目に読む本として適当な本といえる。

 同様の書籍としては、各法ごとの入門書も各種出版されているが、本書は六法(憲法民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法)をわずか200ページにまとめてしまっている。

 本書の構成はシンプルだ。まず、憲法第13条の条文から、憲法、ひいてはすべての法律の究極目標は、「個人の権利の尊重」にあることを明らかにする。そこから、各法律ごとのアウトラインを記していくことになるのだが、各法の骨格の取り出し方も巧妙で、ツボを押さえている。

 六法を学習し終わった人が手にする必要性は感じないが、未習範囲がある場合、一度は本書で学んでみると、習得が早いのではないか。


 ひとつだけ欠点を挙げるなら、発展学習用の書籍紹介の項。
芦部憲法 第四版、内田民法I 第4版: 総則・物権総論等、学者の基本書がずらりと並ぶが、これらの書籍はしっかり読みこなせば司法試験でも通用するレベルのもので、本書を読み終わった時点で手にするにはいささか敷居が高い。

 大学生なら授業と並行して読み進めることになるが、独学で社会人が読みこなすのは骨が折れるだろう。最短で結果が出る超勉強法 (講談社BIZ)で荘司氏が紹介している、「薄い入門書を短期間で複数冊or複数回読む」という作業を、芦部憲法内田民法で行えというのだろうか。無茶だ。

 入門書のラインナップは移り変わりが激しいこと、著者のカバー範囲でないことを考えると仕方ないのかもしれないが、この点だけは残念だ。

『お金と生き方の学校』を読んだ

お金と生き方の学校 (新しい社会のための教科書)

お金と生き方の学校 (新しい社会のための教科書)


 投資家・新田ヒカル氏による、「お金と生き方」をテーマにした対談集。対談相手は、苫米地英人氏、小飼弾氏、杏野はるな氏、木村佳子氏、小幡績氏、小池龍之介氏の6名。みな、「お金と生き方」について一家言持った人たちだ。


 まず、最初に出てくるのが、苫米地英人氏。本書のプロフィールによれば、計算言語学者認知心理学者。この人、プロフィールを見る限りでは、学術と実業、二足のわらじを上手に履いてきた人、というくらいの印象なのだが、対談内容から受けるイメージは、プロフィールとはだいぶ異なる。

 彼を一言でいえば、「ペテン師」。それも、かなり典型的な。話の進め方がその傍証だ。

 まず専門用語をまくし立て、知識があることをアピール。砕けた物言いで親近感を獲得しつつ、他では得られない裏情報(≒偽情報)も小出しにすることで、うぶな読者を信じ込ませる。

 正直言って、苫米地氏の経済トークは話半分に聞いた方がいいと思う。ただ、投資はセックスより麻薬より気持ちいい、というくだりや、投資で得た金を投機目的で物理資源(不動産、鉱物資源、食料等)に回すな、という警告は面白い。

 苫米地氏の本領は後段、メタ思考の部分だ。認識の抽象度が上がると、パターンを抽出できるようになり、自由に振る舞えるようになる。二次元人には三次元人の振る舞いは予測できないが、その逆は容易だ。

 そして、「抽象的なゴール」を設定することで、人は自由になる。ゴールに重要なのは、抽象性の高さ。基準は、いまの自分のままでは絶対にできないこと。一見実現不可能なゴールを設定し、そこと現在の自分とのギャップを意識することで、現在の自分を変える原動力とする。


 2人目は、小飼弾氏。ブロガーとしてよく知られた人物だろう。僕が本書を知ったのも、彼のブログがきっかけだ。

 種銭が少ない内は自己投資が最も効率的。通帳を見て「カネが遊んでるな」と思ったときが投資を始めるタイミング。種銭は少なくとも100万円、トレードの時間対効果を考えると、1000万〜が目安。教育やエネルギー問題の話も取り混ぜた、いつものdankogai節も味わうことができる。


 3人目は、アイドル・杏野はるな氏。彼女の場合、88年生れという若さもあって、自分の中のコンテンツはまだ貧弱。この対談でも、新田氏が持論を展開する部分や、新田氏に話を引き出される部分が多い。

 彼女の話を読んでいて考えたのは、アナロジーと学びについて。杏野氏が専門といえるほど知っている分野は、レトロゲームだけ。しかし、レトロゲームを深く知ることによって、共通点の存在する投資についても、素早くエッセンスを吸収している。一つの分野を極めた人が、他分野の習得も速い、というのはこういうことだろう。


 4人目は、投資家・木村佳子氏。この人の話は、論としては面白いんだけど、一点に集約されるような「芯」が取り出しづらい。「変化に対応しなければ生き抜くことはできない」といった感じだろうか。

 投資アドバイザーの中には、「デイトレはギャンブル、長期投資が王道。根拠は第二次大戦後60年間の株価推移」という人がいる。それは過去についての語りとしては正しいが、明日も昨日までと同じ仕組みで世界が回るとは限らない。


 5人目は、小幡績氏。実は、僕が本書の購入を決めたのは、彼が対談者リストに入ってたからだ。行動経済学者としても有名だが、ごく一部ではPerfumeの熱狂的なファンとしても知られる。のっちとかしゆかが立て続けにフライデーされた時の、彼のブログ記事を引用しよう。

株式市場とPerfume

ともに分岐点を迎えた。今や、あ〜ちゃんが世界の命運を握っている。

 Perfumeとの絡みでの、日本文化の考察も面白い。カネをかけるアメリカンモデルは終焉し、カネの代わりにエネルギーを使うPerfumeモデルが台頭する、というのがその骨子だ。

 経済についてのスタンスは、悲観論者。日経平均株価は5000円まで下がると予測していたし、不況は10〜25年続くと述べている。「このご時世、株なんてやらない方が、財産を守ることのできる確率は高い」という指摘はその通りだろう。2002〜07年までのような、上昇トレンドの下の相場と、現在の市況は全く別物。

 また、経済学は未だ黎明期の学問で、その知見は間違っている(既に過去の常識となってしまった)部分も少なくないから、金融教育などやめた方がいい、という指摘も面白い。

 小幡氏の章を読めただけでも、本書の価値はあったといえる。弾さんの話も面白かったが、ブログでたくさん読めるので、小幡さんに比べると「希少性」が低い。


 6人目は、住職・小池龍之介氏。彼の対談は、「FX攻略.com」の再掲載ではなく、本書のために語り下ろされたもの。本書の出版社・サンガは仏教系の出版社なので、その絡みだろうか。

 小池氏の仏教についての話はとても興味深い。我々はあらゆることから刺激を受け、快/不快を感じながら生きているが、小池氏によれば、刺激すなわち快/不快は、それ自体ストレス(仏教用語でいえば、「苦」)であるという。

 快/不快システムはヒトという生物「種」が繁栄するために作り出されたプログラムであって、個々人を幸福にするものではない。仏教では、幸福(すなわち、心の安楽)のために、脳の刺激に対する反応をハックする。

 外界の刺激に対する反応をニュートラルに近づけることで、心が揺れ動かない状態を作る。あらゆることに動じなくなれば、それが「悟り」だ。

 途中まで読んで、僕は、これは危険思想ではないか、と考えた。種が生きのびるためのメカニズムをハックして幸福を得たとして、その先にあるのは種の滅亡ではないか、と。

 だが、小池氏によれば、そんな心配は無用、どころかとんでもない思い上がりであるらしい。悟りの果てに枯れ果ててしまうような人は、とても限られている。現在の地球上には、悟りの最終段階・阿羅漢まで達している人は1人もいないのではないか。それくらい、悟りとは難しいものである、と。

 新田氏が仏教からお手軽なライフハックを取り出そうとしては、小池氏に否定される一連の流れもハラハラさせられて面白い。本書のハイライトはこの章といってもいいだろう。


 全360ページ、ボリュームも内容も充実した対談集だ。

法実務の入門書:『法律の使い方』

法律の使い方

法律の使い方

 本書は、法実務家を目指す人のための、「道具としての法律」の使い方を説く本。


 では、法実務家とはどんな人か。

 実は、大学教授は、「法学」のプロではあっても、「法律を使った事件解決」のプロではない。彼らの仕事は、法実務家が現在使っている法理論の再検討を行うことで、法理論のレベルアップを図ることだ。

 一方、「法律を使った事件解決」のプロ、弁護士、検察官、裁判官の法曹三者をはじめとして、司法書士行政書士弁理士等の有資格者から、公務員、企業法務部まで、法律を道具として使う職業はみな実務家と呼ぶことが出来る。

 法学部生や法科大学院生のみならず、法実務家を志す全ての人にとって――それはイコール、法律を学ぶ殆ど全ての人にとって――本書は優れた入門書である。


 以下、気になった部分のピックアップ。

  • 法律家に必要なのは、常識的な判断力と、法的な理論構成をする能力。
  • 法律とは、もめ事を解決するための道具。
  • 法実務家にコミュニケーション能力は欠かせない。「いい弁護士は、いい文章を書く人」

 また、第3章の法律構成の実践例と、第4章の法律構成を実際に使った練習問題は、法学をすでにある程度学んでいる人にとっても、得るところはあるのではないか。

都会のファンタジー:『1973年のピンボール』

1973年のピンボール (講談社文庫)

1973年のピンボール (講談社文庫)

 村上春樹をジャンル分けするなら、「ファンタジー」だろう。ただし、その舞台は現代日本の都市。

 ある朝主人公が目覚めると、両脇に双子の女の子が寝ていた、なんていう展開は、それなんてエロゲといわざるをえない。ただ、そういう男性的な願望を、オブラートに包んでいるところが、村上春樹の上手さ。

 それにしても、この双子の可愛いこと。


 どこかで『ノルウェイの森』はオシャレなポルノ小説だ、という文章を読んだことがあるが、確かにそういう一面はあるだろう。

 それでも村上春樹がポルノあるいは恋愛小説の枠に収まらない点は、随所に見られる詩的散文と、男性の描写の巧みさにある。紋切り型の女性に比べて、男性はいかにも人間くさく、それでいてどこか詩的な雰囲気を漂わせている。

 そこが、男性読者に憧れと共感を抱かせる。女性読者にも、等身大より少しカッコイイ男性像は、好ましいものだろう。

 双子、事務員の「女の子」、鼠の「彼女」らが表層的な部分しか描かれないのに対し、「僕」と鼠の内面は赤裸々に描かれるし、ジェイやピンボールマニアも人間くさい。

 この点は、「私は男が何を考えているかははわかるが、女が何を考えているかは見当もつかない」という割り切りかもしれない。実際、ジェーン・オースティンのように、関知し得ない領域を意図的に書かない著者もいることだし。


 物語としてはどうということもない小説だが、初期の村上春樹のテイストを味わうには十分な小説。ただ、『風の歌を聴け』ほどの切れ味の良さはない。